静かな場所にいると、
なぜかお腹の音が気になってしまう。
図書館、映画館、会議室。
「シーン」とした空間に入った瞬間、
急にソワソワしてしまうことはありませんか?

私は、過敏性腸症候群(IBS)の症状のひとつである
「腹鳴(ふくめい)」に、長年悩んできました。
特に、静かな場所では、
お腹の音が“必要以上に大きく感じてしまう”。
頭では「大丈夫」と思っていても、
体はなぜか言うことを聞いてくれません。
洗濯物を干しながら、ふと今日の予定を思い出して、
「……あ、あそこ静かだったな」と気づいた瞬間。
もう、その日一日、心のどこかが落ち着かなくなる。
きっと、たぶん、この悩み私だけじゃない。
そう思いながら、
これまで誰にもあまり話せずにきた
「静寂が怖くなる感覚」について、
今日は書いてみようと思います。
「聖域」を侵略する静寂の恐怖
私にとって、静寂は安らぎではありません。
むしろ、自分を追い詰める
「敵」のような存在です。
お腹の音が気になる者にとって、
シーンと静まり返った空間は、
自分の内側の音が、いちばん強調される“戦場”になります。
「今、鳴ったらどうしよう」
そう思った瞬間、
意識はすべてお腹に集中し、
体は緊張でカチカチに固まってしまいます。
リラックスするための場所が、
皮肉にも、もっとも緊張を強いられる場所へ変わってしまう。
誰にも邪魔されないはずの「心の聖域」が、
自分自身の体の反応によって侵略されていく感覚——。
これは、経験した人にしかわからない、
とても孤独な構造です。
暗闇に置き去りにされた、あの日のプライド
この「静寂への恐怖」には、
はっきりとした原体験があります。
それは、若い頃の映画館での出来事でした。
本編が始まる前。
照明が落ちて、ふっと静寂が訪れた、その瞬間——。
私のお腹の中で、
「ギュルルル!」
という、想像を超える音が響いたのです。

- 隣には知らない人
- 逃げ場のない座席
- まだ真っ暗なスクリーン
遮るもののない静けさの中で、
その音だけが、やけに鮮明でした。
私のプライドは、
あの暗闇の中に、きれいに置き去りにされました。
「ただ、映画を楽しみたいだけなのに」
そのささやかな願いさえ、
静寂が凶器になって打ち砕いた瞬間でした。
「空気を読む」性質と、お腹の音のしんどさ
私は普段、
外ではできるだけ空気を読み、
波風を立てないように振る舞うタイプです。
家事を先回りして片付けたり、
人の期待に応えようと頑張りすぎたり。
それに加え、
「気にしぃ」な性格でもあります。
そんな私にとって、
自分でコントロールできない音
が、外に漏れてしまうことは、
本当に恥ずかしく怖いことでした。
「不快に思われていないかな」
「変な目で見られてないかな」
そんな不安が、頭の中をぐるぐる回ります。
でも、そのしんどさを
うまく言葉にできなくて。
気づけば、不機嫌になったり、
一人でこもって回復しようとしたり。
空気を読めば読むほど、
お腹の音が、
自分の社会性を脅かす存在に感じられてしまうのです。
おわりに:IBSと付き合いながら、生きていくという選択
正直に言うと、
私は今でも、静かな場所はできるだけ避けています。
在宅ワークを選んだのも、
一人で過ごせる環境を選んだのも、
自分を守るためでした。
気にしないようにしよう。
前向きに考えよう。
そう思ったことも、何度もあります。
でも、できませんでした。
恥ずかしいものは、やっぱり恥ずかしい。
怖いものは、怖い。
だから私は、
自分の心と体にかかる負荷を、
これ以上増やさない生き方を選びました。
それは、人によっては、
「逃げている」ように見えるかもしれません。
でも私にとっては、
生き続けるための「守り」でした。
無理をしないこと。
壊れない場所に身を置くこと。
それも、大切な選択です。
もしかしたら、
少し孤立して見えることもあるかもしれません。
でも——
私は、寂しくありません。
むしろ、一人のほうが楽で、
安心して呼吸ができます。

誰にも気をつかわず、
お腹の音におびえずにいられる時間は、
私にとって、大切な居場所です。
もし今、
同じような悩みを抱えている人がいるなら。
無理に強くならなくてもいい。
無理に慣れなくてもいい。
自分を守る生き方を選んだ人が、
ここにもいます。
鳴るお腹と一緒に、
それなりに、ちゃんと暮らしています。
それを、知ってもらえたら嬉しいです。



