こんにちは、こころ香です。
HSS型HSPについて調べていると、 よく「完璧主義」という言葉を目にします 。
たしかに、物事をいい加減に済ませたくはないし、 「ちゃんとやりたい」という気持ちは人一倍あります 。 だから最初は、「私もそうなのかな」と受け入れようとしました 。
けれど、その言葉を何度も目にするうちに、 どうしても消えない「ズレ」のような違和感が残ったのです 。
※ここに書いていることは、専門家としてではなく、HSS型HSPの私自身の視点です。
私にとっての「完璧」は、もっと高い場所にある
なぜ違和感があるのか。 あらためて、自分の中にある「完璧」の定義を考えてみました 。
私が思い浮かべる完璧とは、こんな状態です 。
- 一切の妥協なく、徹底していること
- 最初から最後まで、完全にやり切っていること
- どこにも曖昧さが残らない、完成された形
途中で手を緩める余地なんて、1ミリもない 。 そんな、非常に強度の高い状態を「完璧」と呼ぶのだと思っています 。
この高い基準で自分を振り返ってみると、 「私は完璧主義です」なんて、口が裂けても言えませんでした 。
徹底できない自分を、一番知っているから
人から見れば、私の振る舞いは 「そこまでやるの?」と、完璧主義に見える瞬間があるのかもしれません 。
けれど、私自身は知っています。
実際には徹底できないことの方が多いし、 途中でふっと力が抜けてしまうこともある 。 最後まで完璧に仕上げたと、 胸を張って言える場面なんて、ほとんどありません 。
自分の中にある「完璧」という理想の高さと、 現実の自分のやり方が、どうしても重ならないのです 。
このズレがあるのに、自分を「完璧主義」という 強い言葉のラベルで呼ぶことには、どうしても抵抗がありました 。
求めたいのは完璧ではなく、「ちゃんと」でありたい
私は、完璧でありたいわけではないのだと思います 。 ただ、「ちゃんと」はしていたい。それだけなのです 。
- 人としての礼儀やマナー
- 目の前の人への向き合い方
- 「自分はこうありたい」という在り方
こうした部分において、いい加減なことはしたくない 。 その「ちゃんと」の正体は、まだうまく言葉にできません 。
でも、世間で言われる「完璧主義」という 冷たくて硬い言葉とは、少し違う温かさや、 もっと素朴で切実な願いのような気がしています 。
まとめ:自分に合うラベルを、ゆっくり探せばいい
「HSS型HSP=完璧主義」という言葉がしっくりくる人も、 もちろんいるでしょう 。
でも、もしその言葉が自分の感覚にうまく重ならなくて、 どこか苦しさを感じているなら。 無理にそのラベルを背負う必要はありません 。
その引っ掛かりは、間違いでも逃げでもなく、 あなたが「本当に大切にしたいもの」を 見つけるための大切な手がかりです 。
完璧になれなくてもいい。 無理に言葉にしきらなくてもいい 。
自分だけの「心地よい加減」を、 これからも焦らずに探していければいいな、と思っています。



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