失敗をどう受け止めるかで変わる心の動き

こんにちは、こころ香です。

小さなミスなのに、
あとからあとから気になってしまうことがあります。

出来事そのものより、
「どう思われたかな」
「評価、下がったかもしれないな」
そんなところに意識が向いてしまうことがあります。

気にしすぎなのかな
弱いのかな、と
そう思うこともありますが、
それだけでは説明しきれない感じも残っていて。

失敗が重く感じる日には、
心の反応の向きに、少し特徴があるのかもしれません。

※この記事で書いていることは、専門的な知識ではなく、「HSS型HSPとしての私の視点」です。
ひとつの感じ方として読んでいただけたらうれしいです。


自分ひとりの出来事なら、案外すぐ切り替えられる

自分の中だけで完結する出来事なら、
意外と軽く流せることがあります。

たとえば、パンを焦がしたとき。
「あ、やっちゃったな。次は気をつけよ」
それで終わります。

誰かに見せるものでもなく、
評価がつくわけでもない。

失敗は失敗だけれど、
それ以上でもそれ以下でもない出来事として、
自分の中で区切りをつけやすいのだと思います。


社会の場になると、同じ失敗でも重くなる理由

同じような「うっかり」でも、
職場や人が関わる場面になると、
急に重く感じることがあります。

それは、
失敗そのものよりも
「評価が下がったかもしれない」
という感覚が前に出てくるから。

できない人だと思われたかな、
信用を落としたかもしれない。
そんなふうに、
出来事の外側にある「見られ方」まで
一緒に背負ってしまう日があります。

見られている、測られている。
そう感じた瞬間に、
失敗が自分の中で
必要以上に大きくなってしまうことがあるのかもしれません。


未来と過去、両方に引っ張られて疲れてしまう

HSS型HSPの心は、
出来事そのものだけでなく、
その前後の気配にも反応しやすいところがあります。

まだ起きていない未来を想像して、
「もし失敗したらどうしよう」と気持ちが動き、
実際にうまくいかなかったあとも、
「やっぱりダメだった」と、もう一度落ち込む。

前と後ろ、
両方から引っ張られるような疲れ方になる日があります。

「そりゃあ、しんどくもなるよね」
そう思えてくる流れです。


それは、人間性まで評価されるような出来事だったのか

気持ちが沈んだとき、
ひとつだけ立ち止まって考えてみることがあります。

その出来事は、
自分という人を決めつけられるほどの内容だったのか。

能力や人柄まで
判断されるような失敗だったのか。

気力が少ない日、
慎重さが前に出ている日、
未来の想像に引っ張られている日。

いろんな条件が重なって、
私自身、
実際よりも重く受け取っていることもあります。


そっと整えるためにできること

心がざわつく日は、
こんなところを、ゆるく確認してみます。

・今日はどれくらい余力があったか
・その出来事は、評価に直結するものだったのか
・未来の想像がふくらみすぎていないか

出来事そのものと、
気持ちの動きを分けてみるだけで、
少し呼吸がしやすくなることがあります。


まとめ

失敗を軽く受け止められる日と、
ずっと引きずってしまう日。

その違いは、
強さや弱さではなく、
心がどこに反応しているかの違いなのかもしれません。

評価の気配に敏感になる日があっても、
それは誠実さや丁寧さの裏返しのようにも感じます。

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