「待たせたのは私じゃないのに」事務職の板挟みで、心がすり減る瞬間の話

先日、新しい案件の説明会があった。
そこで、最近、辞めてしまった方の話が出た。

営業担当や業者となかなか連絡がつかず、お客様を待たせてしまう。
その板挟みで精神が疲弊してしまった、という話だった。
(もちろんこれだけの理由で退職されたわけではありません)

それを聞いた瞬間、私は心の中で強くうなずいていた。

「ああ、めちゃくちゃわかる...」

自分では動けないのに、責任だけはある

事務の仕事がつらくなるのは、忙しさや作業量そのものじゃないと思う。

いちばんしんどいのは、
自分だけでは判断できない。
自分だけでは先に進めない。
足止めをくらっている。

この状態だ。

連絡が来るまで、できる仕事をやるしかない。
でもその間、ずっと気が気でない。
「まだかな」
「お客様、怒ってないかな」

画面を何度も確認して、通知が来ないことにため息をつく。
この「待ち時間」の緊張感だけで、もう仕事をした以上のエネルギーを使ってしまう。

謝るのは、いつも私

やっと担当と連絡がとれて、お客様に連絡を入れるとき。
まず言うのは、決まってこうだ。

「大変お待たせしてしまい、申し訳ございません」

……私じゃないのに。

私が遅らせたわけじゃない。
私が忙しかったわけじゃない。
でも、謝るのは私。
怒られるかもしれないのも、私。

お客様には「担当が忙しくて返事がもらえなかったんです」なんて言えない。
だから「申し訳ございません」と言うしかない。

事務は悪くないのに、怒りの受け皿になる。

「私じゃないのに」という感覚を、どこにも置けないまま、深呼吸して電話をかける。
メールを送る前に何度も読み返す。
そんな小さな緊張が、毎日積み重なっていく。

両側から挟まれる、つなぐ役割

事務は「つなぐ役割」だから、両側から挟まれる。

担当にも事情があるのはわかる。
お客様の気持ちもわかる。
でも、どちらにも「そうなんです、困ってるんです」とは言えない。

連絡が来るまで、気持ちが完全には休まらない。

待っている時間、他の仕事はできる。
でも頭のどこかで、ずっと気にしていて集中できない。

自分だけじゃなかった

辞めた人の話を聞いて、
ああやっぱりこのしんどさは自分だけじゃなかったんだ、と思った。

でも同時に、これからもこういうことは起こるんだろうな、とも思った。

連絡がすぐつく仕組みがあればいいけれど、そうじゃない。
人と人が関わる仕事だから、タイミングが合わないことはある。
それを誰かが引き受けなければならない。

それが事務の仕事なんだろうか。
...そうなのかもしれない。

ただ、この『私じゃないのに』という感覚は、言葉にならないまま、ずっとある。

説明会で話が出たということは、会社側もこのしんどさをわかっているということ。
わかっていても、どうにもならないのかもしれないけれど。

わかってもらえるだけで、少し楽になることもある。